木陰でのランチの後、午後はずっと寝て過ごした。昼ご飯の後、再度熱を測ってみたら、三十八度ジャストまで下がっていた。
アイスノンを取り替えて、ベットに横たわると、いつのまにか記憶は途切れて、次に目を覚ましたのは放課後のチャイムと同時だった。
「瀬田君、よう寝てたな。もう放課後やし、お迎えもそろそろ来る頃やから、着替えといてな」
保健医の『お迎え』の部分にふと疑問を持ちながら、ぼくはジャージをを着替えていた。下だけ着替えていたため、シャツはしわくちゃだった。しかも汗をかいたらしく、湿っていて気持ち悪い。
それに比べて、体のだるさはだいぶ良くなっていた。喉は相変わらず痛いままだったけれど、熱は昼より下がったのは確かだ。
いつもの癖で、シーツのしわを伸ばしていると、仕切りカーテンの向こうから、秋本の声が聞こえてきた。
「歩、したくできたか?」
「秋本?」
カーテンを開けると、帰り支度の整った秋本がかばんを二つ抱えて、そこに立っていた。
「荷物持ってきたから」
ご丁寧に外履きまで持ってきている。
「ありがと。でも、ジャージや上履きを戻さないと」
「あぁ、それは大丈夫や。蓮田が校庭にいるから預けたらええ」
親指で校庭を指しながら秋本は言う。そしてぼくからたたんだジャージと上履きをさらうと、校庭でストレッチをしている蓮田を呼びつけた。
「お~い、伸彦。歩の荷物頼むわ」
「おう、瀬田少しは良くなったか?」
「うん。ありがと」
「ええって。ゆっくり休め」
ジャージ姿の蓮田の後姿を見送りながら、ふと隣に立つ秋本に違和感を覚えた。
蓮田はジャージなのに秋本は制服姿。ふたりとも同じサッカー部なのに、おかしくないか?
「あれ? おまえ部活は?」
「ん、今日はサボり」
「おい……」
ぼくなんかのためにサボるなよ。
「いつ具合悪くなるかわからんし、歩のおかんまだ仕事やろ?」
「そうだけど」
「歩ん家に行きなれてるおれが、弱ってる歩を送る。途中ぶっ倒れても、おれなら担いで家まで運べるしな。そんでベットに入るのを見届けて、じっくり看病したるわけや。なぁ先生、完璧やろ?」
保健医に同意を求める秋本。
おいおい、家の中まで面倒見る気かい。
「秋本……」
「そうやね、家で看病までは期待してなかったんやけど、今日は荷物持ちにロミオ君を使ってもええんやない? 瀬田君」
「ほら、先生も言ってるわよ、ジュリちゃん」
「はぁ……」
こうして、ぼくたちは並んで家路につくことになった。
もちろんぼくの荷物は秋本が持っている。
「そうや、忘れんうちに渡しとこ。コレはメグから」
そう言ってかばんの中からポカリスエットのペットボトルを取り出した。
「えっ」
ぼくは一瞬、具合が悪いことを忘れた。まさか萩本から差し入れをもらうとは思わなかったのだ。
ぼくは単純に嬉しくて、渡されたペットボトルを両手で包み込んだ。
まだ冷たい。
うわ~、萩本からもらっちゃったよ。
「それと、コレは森口と篠原から」
次に秋本のかばんから出てきたのはビニール袋。中を覗くと、のど飴や棒付飴など、いろんな種類のキャンディーがわんさか入っていた。
「うわ、すごい」
「せっかくやから、早速舐めといたら?」
「うん」
ぼくは袋の中から普通の飴を取り出した。包み紙を開いて藤色の玉を口に放り込む。
葡萄味のキャンディーだった。
同じものを袋から取り出し、秋本の胸ポケットに押し込む。おすそ分けだ。
口に広がる甘味を味わいながらの帰り道。真昼と比べてかなり日差しは柔らかくなっていたけど、風が無い。
体力が十分にないぼくには、少し堪えた。
マンションの下でかばんを受け取ろうとしたとき、段差に足をとられてよろけてしまった。
すかさず秋本の腕がぼくを支えてくれる。
「あ、ありがと」
「危なっかしいから玄関まで送る」
「でも、もうすぐ上だし……」
大丈夫と続けようとした口を、秋本の手がふさいだ。
「しゃべるとまた熱上がるぜ」
「……」
ぼくは肩をすくめた。
玄関を開けると、丸で自分の家に帰ってきたかのように自然に秋本は上がりこんでくる。
「ただいま~」
「って、それはおれのセリフ……」
再び口をふさがれる。
「歩が言えないぶん、おれが言ってるんや。歩はもう一切しゃべらんでええからな」
唇に人差し指を立てて先に廊下を進む。
よく家に遊びに来る秋本にとって、かって知ったるなんとやら、だ。
「さ、お客様、いらっしゃいませ~。よう来てくれはりましたなぁ~」
秋本はぼくの部屋のまえで、ドアを開けてお辞儀をする。しかもなぜか声はどっかの旅館の女将風。
「な、なに言って……」
「コントの練習や。あ、歩はしゃべらんでええからな。そうや、おっきい飴でも舐めとれ」
ごそごそとぼくの持つビニールをあさって、特大の飴玉を見つけ出すと、それをぼくの口に押し込んだ。
「あひもふぉ……(秋本)」
大きすぎてまともにしゃべることすらできない。
「夏に向けて今からネタ色々仕入れとかんとな。ってことで、おれは今旅館の女将や」
「……」
夏に向けてとは、夏祭りの特設ステージで漫才をやるというアレだ。
ぼくは、まだ返事を保留にしているのに、秋本はすっかりやる気だ。
「あら、お客さ~ん、顔色悪いんとちがいます~? はよう横にならんと。さぁさぁ中へ。お布団敷きましょなぁ~」
秋本に背中を押され、ぼくは自分の部屋に入った。
「お荷物、ここ置いときます~。ささ、お洋服ぬぎましょなぁ~」
壁際にかばんを置くと、秋本の手がぼくのシャツに伸びてきた。
「んっ! ふぁにふふんらっ!(何するんだ)」
あぁ、飴が邪魔をして上手くしゃべれない。
「何って、そのまま寝るわけにはいかしまへんやろ? わてが手伝ったります~」
ホホホと高笑いをしながら、秋本はぼくを脱がしにかかった。
「ひゃめふぉ!(やめろ)ふぁふぁうな(触るな)」
「え? 女将さん好きだ、愛してる? いやですよ~お客さ~ん」
「ふぁは!(ばか)」
「結婚してくれ? まぁ、どうしましょう~」
人がしゃべれないのをいいことに、こんのやろ~。
ぼくは思いっきり秋本の両頬を平手で挟んだ。
パチン。
これは結構痛いはず。
「あゆむ~~~~~」
二秒後、秋本から情けない声が上がった。
「ふわけうぎふぁ!(ふざけすぎだ)」
「はいはい。すんませんでした。おれ、タオル濡らしてくるから、歩は着替えといてな」
ようやく素に戻って秋本が、頬をさすりながら部屋を出て行く。
なんだ、やっぱりちゃんと聞き取れてるんじゃないか。
ぼくはベット下の収納から、スウェットを取り出して着替えた。
制服をハンガーに掛けていると、秋本が戻ってきた。
「そんなんはうちがやります~」
また女将口調が始まったので、ぼくはじろりとにらんでやった。
「かわいい顔台無しやな」
苦笑いの秋本。制服をしまって、ぼくはベットに滑り込んだ。
「体調はどうや?」
今朝と同様額をコツンとくっつけてくる。近づく顔はとてもまじめで、瞳を閉じていた。ぼくはすぐそこにある秋本のまつげに目が留まった。
けして長いわけじゃない。それでも数えられそうな気がしたんだ。
「ん、やっぱ少し上がってきたかも。すまん、調子に乗りすぎた」
閉じていた瞳が開き目が合う。凝視していたぼくに一瞬驚き、瞳孔が開く。そして、細められた。
ぼくはあわてて布団をかぶった。
な、なんか今、すごくドキドキした。
「歩、窓開けてもええか?」
さっきよりは遠くから声がかかったので、ぼくは布団から顔を出した。
「ん~、あけふぇ(開けて)」
窓を開けたとたん、一陣の風がカーテンのすそをめくり、部屋に入り込んできた。
きもちいい。
秋本がぼくの前髪をかきあげて、ぬれたタオルを乗っけた。額には大きすぎて、目まで隠れる。
あぁ、本当にきもちいい。
「欲しいもんあるか?」
ぼくは首を振った。
「そうか。アイスノンか氷枕があればいいんやけど、さすがに場所わからんしな」
どこにあるかなんてぼくにもわからない。引っ越してきてから一回も目にしたことがないから、もしかしたら家には無いのかもしれない。
「そや、ちょい氷水もらうで」
ぼくが頷くより早く、秋本の気配が消えた。
少し小さくなってきた飴玉を右頬に寄せてみる。ずっと甘いものを舐め続けていたおかげで、舌がざらついてしまった。
「歩」
額のタオルがいきなりとられ、ぼくは目を細めた。
秋本の手元には氷水が入ったビニール袋。ぬれたタオルでそれを包み、再びぼくの額にタオルが戻ってきた。
氷入りの袋は不安定なので、秋本の手がそれを支える。
ぼくは秋本の手からその役を自分で引き継ごうとしたが、止められた。
「大丈夫だよ、秋本」
「ええって、おれにやらしてくれ」
そう言ってあいたほうの手で髪の毛をすく。
いつもならやめろと注意する場面だけど、いまはもう少しこのままでもいいと思った。
小さい頃、一美姉ちゃんが風邪を引いたぼくを看病してくれたことがあった。
確かあの頃はまだぼくが小学校に上がりたてで、堰がひどくて、乗せたタオルがすぐに落ちてしまっていた。それを一美姉ちゃんが治してくれていたんだ。母さんは、風邪がうつるからあんまりぼくに近寄っちゃダメって言ってるのに、何回も何回も直してくれて、しまいにはぼくの額のタオルを抑えたまま眠り込んでしまった。
そして翌日、一美姉ちゃんは一日寝込む羽目になったんだっけ……。
懐かしい思い出に浸っていると、頬をつつかれた。
「ん?」
「いや、飴玉ここやなぁ~と思って」
「なんだよそれ……」
「お、もう普通にしゃべれるようになっちゃったか」
「……残念そうだな」
「そんなこと無いけど、一つやってみたい古典的ネタはあったな……」
「どんな?」
「服脱がせるときに『よいではないか、よいではないか』『あ~れ~~~』『ふふふっ、愛いヤツよのぉ~。ひひひひひっ』とか」
一人二役で声色を使い分ける秋本。見事に悪代官と町娘を演じている。
「ちょっとまて。……それって、おれがクルクルまわんなきゃいけないわけ?」
「もちろん」
「……」
早く飴がとけって良かった。ぼくは心からそう思った。
「ま、少し寝とけ。押さえといてやるから」
秋本はベット脇に座り込み、ベットのふちにあごを乗せた。
「そこまでしなくてもいいのに……」
どうせ帰れといっても、この場を離れないだろう秋本。そんな彼の優しさに、ぼくは甘えることにした。
「店の手伝いは?」
「心配するな。メグが手伝いに来るやろ。」
「そっか」
「おふくろさん帰ってくるまでは、傍にいるから」
「ははっ……そこまで重病じゃないのに」
「その割には、手に当たる息が熱いで。唇も熱で少し赤みが増したんやない?」
「そんなもん?」
「そんなもん。さぁ、おしゃべりは終わりや。一眠りしようや~」
おいおい、お前も寝る気かよ。
つい突っ込みそうになるが、そこはぐっとこらえて軽く頷くことにした。
額に乗る氷水とタオル、それに秋本の手が加わって、頭がかなり重かったけど、目を閉じれば睡魔はすぐにやってきた。
ぼくが次に目を開いたとき、目の前には秋本の寝顔がそこにあった。
すでに日に焼けて黒くなりつつある肌、少しくせのある髪の毛。そういえば、であった当時より少し髪の毛が伸びたかも知れない。
そんなどうでもいいことを考えていると、玄関からごそごそとビニール袋がすれる音がした。
「歩?」
そっと部屋を開けて入ってきたのは母さんだった。
「あら、秋山君だったの」
「秋山じゃなくて、秋本」
「あら、そうだった」
お決まりの会話を交わしている間に、熟睡していた秋本が目覚めた。
「ん~……、よう寝た。歩おはよう。すがすがしい朝やな」
「朝じゃなくて夕方だけど、おはよう秋本」
すでにぬるくなったビニールとタオルが、頭から外される。その時、タオルを支えていた秋本の手が、プールに入ったときのように、しわしわになっているのに気がついた。
「ありがとうね、秋本君。歩の看病してくれてたみたいで」
母さんが秋本からぬれたタオルを受け取る。
「いえいえ。下心ありましたから」
「下心?」
ぴくりと手の止まる母さん。
ぼくはぎょっとして、思わずベットから飛び起きた。
「もし、ぼくがダウンしたときは……、そんときは息子さんをぼくにください!」
がばっとその場で頭を下げる秋本。
「ばか! それを言うなら『そのときは、息子さんをぼくに貸してください』だろう」
「あ、そうやった。でも、そのままもらってやってもええで。楽しく夫婦漫才できれば、おれは最高や」
「おれは最悪だよ」
「あゆむ~、そんなつれないこと言うなよ~ぉ」
情けない顔で見上げてくる秋本。母さんは笑いをこらえながら、なにか冷たいものを用意するわと、部屋を出て行った。
「秋本、手、大丈夫か?」
「ん?」
「その、ずっと濡れタオル持っててくれたから……」
「あぁ、乾けば戻る。それより、喉は平気なんか?」
「だいぶいい。口の中が甘くてヘンな感じだけど」
「あちゃ~、そこまで気ぃまわらんかんったな」
「秋本……、なんでそんなに気を遣ってくれんだよ」
ぼくはまっすぐ秋本を見据えながら話した。
「おれ……たぶん、お前みたいにできないと思うよ。ちょっとの変化で体調悪いのかな~とか、そうゆうの気づいてやれる自信ないし……。秋本とは対等でありたいって思うけど、なんかいつももらってばかりな気がする」
未熟なぼくは、もらうものばかり一杯あって、ちっとも秋本に返せていない。そんな現状に、ぼくはとても焦燥感を覚えていた。
「……なぁ、歩。さっき言ってた下心な、あれ実は他にもあるんや」
秋本はそう言って一つ伸びをした。
パキポキッっと音が鳴る。
ぼくはごくりとつばを飲んで先を促した。
「どんな?」
「歩が寝たら、じっくり寝顔を観察したろ~とか、あわよくばいたずらしちゃお~とか」
秋本はウッヒッヒと、よだれを拭くまねをする。
「……ちゃかすなよ」
ぼくが大真面目ににらみつけると、秋本はぼくのベットに腰掛けた。
「あのな、おれ家族はおかんだけやろ? これでもガキの頃は、ようインフルエンザとかで寝込んだりしたことがあったわけ。おかんは店があるからずっと下にいてるやろ、おれは部屋で一人寝てなあかんかった。口に出したことは無かったけど、結構寂しいもんなんやな、それが」
「…………」
秋本はちょっと肩をすくめて、おどけるようなしぐさをした。
ぼくは、子供の頃の秋本がすぐに想像できた。苦しくて、体中痛くてつらい。それをたった一人で我慢する小さな秋本。傍にいてとは言えない秋本。
秋本はそんな思いをぼくにして欲しくなかったんだ。
「それと、一人じゃ漫才できないからな。早く良くなってもらわな、夏の特設ステージでの漫才計画が進められんし」
「……げっ、最近やっと忘れてたのに……」
「相方は歩だけやから、体調バッチリにしとかなおれが困る」
だから、気にすんな。ちゃんとギブアンドテイクになっとるやろ。
秋本はそう言いたいらしい。
ぼくは、秋本のしわくちゃになった手をとった。さっきまで白くなっていた手が、だいぶ元に戻りつつある。
「秋本、具合悪くなったら遠慮しないでおれに言えよ。看病くらいしてやるから」
「おう」
秋本の手がぼくの手を握り返してくる。
「それと、本当に寂しくなったら呼べ」
「歩~!」
ぼくは秋本にがばっと抱き寄せられて、そのままベットに倒れこんだ。
あれ? ちょっと、やりすぎたか?
「おれはおまえにメロメロや! なぁ、ほっぺにチューしてええ?」
「うぎゃっ! いきなり何言い出すんだ。やめろ、おれはまだ病人だぞ!」
「ええやん。看病したおれにご褒美」
「なにがご褒美だ!」
「大声出すと、また熱上がるぞ」
「う……っ」
それは一瞬ひるんだ隙だった。
頬になにか当たる感触、耳にチュと特徴のあるキスの音。
「な、な・なななっ、おまえホントに、やっ……」
「ご馳走様でした」
わなわな震えるぼくに、手を合わせて拝む秋本。
信じらんない。本当にキスしやがった。
せっかく、せっかく感謝の気持ちを込めて、秋本並の恥ずかしいセリフを言ってやったのに、奪うやつがいるか?
どうしてくれよう……。
残念ながら、ぼくに思案する時間は無かった。すぐに母さんがぼくたちを呼びに来たからだ。
「歩、夕飯はおそうめんにしてみたんだけど、食べられそう? 秋本君は食べていくわよね」
「はい、頂きます」
冷たいものを用意すると言っていたから、なにか飲み物を持ってくるのかと思えば、夕飯だったのか。
「歩、立てるか?」
指し伸ばされた手をぼくはパシンとはたいた。
「全快したら覚えてろよ」
「忘れるわけないやんか。ほっぺにちゅ~・ちゅ~ちゅ~ちゅ~♪」
ヘンな節つけて歌いだす始末。
「……頼むから、母さんのまえではやめろ」
ぼくはぐったり脱力した体を、なんとか鞭打ってリビングに向かった。
一刻も早くこの喉を治さなくては。熱で倒れている暇は無い。
ぼくはこれ以上体力が落ちないよう、夕食は完食しようと心に誓った。
翌日、熱は完全に下がった。しかし、喉の腫れだけはあともう一日かかりそうな感じだった。
教室に入ると、高原が心配そうに声をかけてきた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん、心配かけたけど、もう元気」
「そうか、昨日秋本が看病したんだって?」
「う、うん。ちゃっかり夕飯まで食べていった」
僕は苦笑いで昨日のあらましを話した。
「へぇ~、濡れタオル抑えながら寝るって、ずいぶん器用やな、あいつ」
「そうだろ? まぁ、氷枕とか無かったし、冷やすもの無かったから苦肉の策って感じだったけど」
「苦肉の策ねぇ……そぉか?」
高原は小首をかしげる。
「え?」
「おれやったら、『ひえぴた』とか買いに行くけど」
「あ…………」
『ひえぴた』。ゼリー状の冷却シートの名前だ。
そういえば、そんな便利グッツがコンビニにも売ってたっけ……。
「あ~~~~っ、なんで気がつかなかったんだろう。そうだよ、それ買ってきてもらえばよかったんだよ」
そうしたら、最後に奪われた「ほっぺにちゅー」は無かったかもしれない。不覚!
「あははは。おれが看病に行ったほうがよかったかもな」
「うんうん。そうだよ。今度なんかあたら、高原にお願いしていい?」
「ええよ。でもきっと秋本やきもちやくで」
「いいいい、ほっとけば」
「そんな! ひどい! ほっとかんといて!」
いきなりの背後からの声に、ぼくは心臓が止まるかと思った。秋本……いつの間に来たのか、ちっとも気配を感じなかった。
「ひどいわ~、あたし精一杯看病したのに~」
小指を立ててよよよとよろける。
「いつの時代のお姫様だよ」
「さぁ~」
すっとぼける秋本。
ぼくはいい機械だと思い、昨晩思いついた『ささやかな復讐』を開始した。
「そういえば、おれ昨日秋本がダウンしたときは看病してやるって、言ったと思うんだけど」
「うん」
「おれ、病人のお前と一緒に帰ることはできないから」
「え? なんで?」
「だってさ、おまえふらふらになって、倒れちゃう可能性があるわけだろ。おれがそんなお前を支えられると思うか?」
ぼくと秋本の体格差。
「……」
「な? だから病気や怪我のときは、おまえを支えられるヤツと帰ってくれ。それで、おれは後から見舞いに行くよ。あ、でも一緒に帰ったやつが面倒見てくれたら、おれの出る幕無いかも」
これでどうだ。ぼくはちらりと秋本を見上げた。
「そんな~~」
がっくりと肩を落とす秋本。高原が苦笑いしながら「まぁ、がんばれや」と声をかけた。
ぼくは小さくガッツポーズを結んだ。
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