「稲葉! ちょっと来て! 千晶ちゃんが階段から落ちたの!」
放課後、クラブ活動の後、荷物を取りに教室で帰り支度をしている時、田代がすごい勢いでドアを開けて叫んだ。
俺は荷物をほっぽって、駆けだした田代の後を追って走った。
現場である三階から二階への階段の踊り場には、既に人垣ができていた。
「ちょっと、通して」
田代が道を開いた後に続いて人垣を越えると、そこには一人の蹲る女生徒と、横倒しになった千晶がいた。
「どうしたんだ?」
「私が階段踏み外して落ちたところに、後ろにいたこの子がいて、その後ろに千晶先生が通りかかってて、将棋倒しみたいになっちゃって……」
そばにいたもう一人の女生徒が、涙目でしゃがみこんだ。
「千晶ちゃん、しっかり!」
そばに来ていた桜庭が千晶をそっとゆする。しかし、千晶は気を失っているのか、反応は無かった。
「頭撃ってるかもしれないから、あんま触んな、桜庭。息はしてるだろ?」
「うん。でも、千晶ちゃん起きないよ。どうしよう」
「お前がうろたえてどうするよ。田代、保健の先生は呼んでるんだろうな」
「今ウッチーが呼びに行ってる」
「わかった。あんたは無事なんだな」
俺は事情を説明してくれた女生徒に声を掛けた。彼女はこくこくとうなずく。そして、もう一人の蹲った生徒が身じろぎをした。
「っつ~~~……」
「あんたも、大丈夫か?」
「肘打ってしびれただけ。千晶先生がクッションになってくれたから」
「そうか」
「千晶先生、大丈夫かな……」
涙のあふれ出した女生徒の肩を叩いてやり、俺は田代に目配せをした。このままここに置いていては罪悪感でパニックを起こしかねない気配があったからだ。
田代はその女生徒と、動けるようになったもう一人の女生徒を保健室へといざなった。
それを確認して、俺はようやく千晶の方へ向き直る。血は出ていない。千晶が襲われたときや、田代が危険な目にあった時に感じたような、危機的状況の時に襲ってくる、あのゾクゾク感も感じなかった。
目を凝らして胸のあたりを見ても、いつもくすぶっている程度の靄しか見えない。となると、全身は打っているかもしれないが、命に別状があるほどのダメージではないといえるかもしれない。
それでも、血の薄い千晶にとって、気絶はあまりいいものではない。何とかして、早く意識を取り戻してほしかった。
「千晶、千晶起きろ!」
桜庭に代わって耳元で呼びかけると、不意に千晶の目がひらいた。
「千晶ちゃん!」
「千晶!」
「ん……んん?」
千晶は、二・三度目をパチパチさせると体を起こそうとして呻いた。
「って~、あいたたた」
千晶は側頭部を抑えて顔をしかめた。
「頭撃ったのか。いきなり動くな、あんた今階段から落ちたんだから」
「っつ……、あぁ、そうだったか……」
何とものんびりした口調に少し不安になる。
「おい、これ何本に見える?」
俺は指を三本立てた。
「三本」
「じゃぁ、これは?」
今度は桜庭が指を六本立てる。
「六本。大丈夫だ。ちゃんとわかる」
「よかった……。よかったよぉ~……」
今度は桜庭が涙目になっていた。
「身体、大丈夫か? どっか痛かったり、ひねったりしてないか?」
この質問には、全身イタイという返答が帰ってきた。そりゃそうか。階段から落ちたんだもんな。
「でも、どっか折れたような痛みは無いから、大丈夫だ」
そう言うと、千晶は俺の頭をガシガシと撫でた。
「ならいいけど……」
ホット肩をなでおろしたのもつかの間、場にそぐわない電子音によって俺は我に返った。
ピロリーン……カシャ。
パシャッ。
ピピッ……バシャ。
「こら! 勝手に撮んな!」
様子をうかがっていたほかの生徒が一斉に散って行った。そして一人残っていた桜庭が指をくわえていた。
「いいな~。私も千晶ちゃんに、頭なでなでしてほしい~」
「……桜庭」
そんなやり取りの間も、千晶は俺の頭をぐりぐりと撫で繰り回していた。
「あんたもいい加減、それ止めろ!」
そう俺が叫んだところで、ジャージ姿の垣内が保健の先生とともに踊り場へやってきた。
「大丈夫ですか? 千晶先生」
「はい、あちこち打ってますが大丈夫です。けがはありません」
千晶は養護教諭に無事をアピールするように手足を動かして見せた。
「でも、気を失ったとか。頭を打った可能性があるので、念のため病院行って検査を受けてください」
「いや、大丈夫ですよ。動けますし」
「でも、何があるかわかりませんから。今大丈夫でも、一時間後急に気分が悪くなったりすることもあるんです。安静にして様子を見ないと……。とにかく、一度保健室まで来てもらいます。一緒に落ちた子たちも、先生のことを心配していますから、声を掛けてあげてください」
そうまで言われては、千晶も断れない。
「わかりました。あの子たちは大丈夫でしたか?」
「えぇ、捻挫も骨折も無しです。肘を打った子には湿布させてます」
「そうですか。お手数掛けます」
保健室へ向かう千晶たちを見送り、俺達は垣内とともに教室へ戻った。
「あ~、それにしても、びっくりだったね。気を失った千晶ちゃん見たとき、一瞬心臓止まったよ」
桜庭が大きくため息を吐いた。
「そういやお前ら、現場に居合わせたのか」
「私は部活が終わって、教室に向かってたところ」
と、垣内。そういや、ジャージ姿のままだ。
「あたしとたぁこはトイレ帰り。廊下に出たら、『キャッ』って悲鳴が聞こえてすぐにダダダダって音が聞こえたから、あわてて階段のぞきに行ったんだよ。そしたら千晶ちゃんが下敷きになって倒れてたの。駆け寄ったら、丁度ウッチーが下から上がってきてて、すぐに保健室に走ってもらったの」
「そうだったのか」
そんな話をしながら帰り支度をしていると、落ちた子を保健室へ連れて行っていた田代が戻ってきた。
「あ、たぁこお帰り~」
「ただいま~」
「保健室の様子、どうだった?」
「千晶ちゃんの無事な姿見て、号泣の嵐だった。女の子は二人とも打撲程度で怪我はなかったよ。千晶ちゃんは念のため帰りに病院に行くみたいだった」
「そっかぁ~」
「おっと、稲葉、千晶ちゃんから伝言。帰る前に保健室寄ってくれって」
「おう、わかった」
俺はリュックを担ぎ、これから三人で新しくできたケーキ屋へ向かう姦し娘達と別れ、放課後の教室を後にした。
保健室は、教室のある校舎とは別の棟にある。中庭を横切って、西日の差し込む廊下を進んだ一番奥に、保健室の表示が出ていた。
コンコンとノックをしてから引き戸を開ける。保健室独特の消毒薬っぽい香りが鼻についた。
「しつれーしまーす」
入ると、養護教諭が机に向かって何か書類を書いていた。どうやら号泣の嵐は去った後の様で、室内は静かだった。
「どうしたの?」
「あぁ、千晶先生に呼ばれて」
俺が説明するより早く、ベットの脇のカーテンが開き、中から千晶が出てきた。
「悪いな、稲葉」
「千晶先生! ちゃんとベットで寝ててください」
保健の先生にぴしゃりと言われ、千晶はベットに腰かけて俺を手招いた。
俺もなんだかいけないことをしているように思えて、こそこそと千晶の元へ寄る。
「どうした? やっぱどっか体調おかしいか?」
千晶は俺が千晶に対してヒーリングできることを知っている。さっき見たときはそれほど靄がかかっていないように見えたけど、急変したのかもしれない。
俺は千晶の呼び出しが、SOSのサインなのではと疑っていた。
「心配かけてすまない」
千晶はそう言うと、俺を引き寄せ、お腹のあたりに抱き着いた。
「!?」
「どこもおかしくないんだが、今日は帰りに医者へ寄ることになった。車の運転も止められているから、さっきマサムネを呼んだところだ」
「そ、そっか」
「だから、今日は悪いな」
「ん、おぅ」
室内に電話の音が響き、俺はここには養護教諭もいることを思い出した。電話を手にこちらに背中を向けているのを確認し、俺は名残惜しそうにしている千晶をひきはがした。
「ほら、ちゃんと布団に入ってないと怒られるぞ」
「はいはい」
千晶がベットに入るのを手伝い、俺は仕切り用にベットの周りを取り巻いているカーテンを引いた。
「稲葉、明日な」
カーテンの向こうから声がかかる。俺は「おう」と返して、電話中の養護教諭に身振りで退出を継げて、保健室から脱出した。
なんか、スキンシップ過剰になっている気がしたが、マサムネさんが迎えに来るなら大丈夫だろう。
マサムネさんは千晶の学生のころからのダチで、今はクラブ・エヴァートンのオーナーをしている、千晶の保護者の内の一人だ。俺にとっての長谷みたいな存在といっていいだろう。
マサムネさんは、合気道も家事もこなす人で、千晶の面倒は見慣れているし、クラブのオーナーということで、時間に融通が利きやすいと聞いたことがある。その彼なら、すぐに千晶を病院に連れて行ってくれるだろう。
それに、かかりつけの医者も近所に住んでると聞いたような聞かなかったような……。
ともかく、千晶は大丈夫。何ともなければ明日普通に学校へ出てくるだろう。
この時、俺はそれくらいの気持ちで、アパートへの道を帰った。
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……ということでこの後千晶に異変が!?
おたのしみに=★
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